演出の渡辺が「出発」の魅力を語ります!

いよいよ来週から「出発」の公演が始まります!!

つか芝居の中でもあまり上演されることのない作品ですが、つかこうへいテイストが満載で、ひじょーーーに面白い作品です! これを20代で書いてたつかさんは、やっぱ恐ろしいわ…と思える、奥の深い台本です。
その面白さを、ちょっとまじめに考えてみます。

◇つかこうへい作品の根底にある、ひとつの哲学

つかこうへいの初期作品で何度も語られるのが「他人の目線によって、自分が何者であるかを決めつけられてしまう」という悲劇です。「自分が何者か」を自分で決められないということは、他人に押し付けられた生き方の中で、もがき苦しみながら生きていくしかない、ということです。
しかし同時に、人間は「何ものでもない」状態で生きていくことはできないため、存在意義を見いだすためにどうしても「他人の目線」を必要とする生き物でもあります。

つか作品の登場人物たちは、偏執的といってもいいくらい「他人の目線」を意識します。ここにはサルトルやカミュなど、当時一世を風靡した近代哲学の影響が見られます。見るものと見られるものの対立が、そのまま登場人物たちの葛藤となって現れているといってもいいでしょう。

それに対する反応は人によって違い、「世間に求められる姿を必死に演じる」タイプと、「そんな安易な生き方はしない」と抵抗するタイプがあります。
いくつか例示してみます。

◇悲劇を持たない人間は、存在意義を持たない —— 「生涯」

「生涯」の父親と嫁は、極めて仲がいいにも関わらず、いびりいびられる嫁舅の関係を演じ続けます。悲劇の一つも持たない家庭は、ご近所の中で話題に上ることもなく、まるで存在しないかのように扱われてしまいます。それでは自分の存在意義を見いだすことのできない二人は、必死に醜い争い(=嫁と舅に対する、世間の固定のイメージ)を演技するのです。

この悲劇自慢の構造もまた、つかこうへい作品の中にはよく出てくるモチーフです。悲劇を抱えた人間は、周りの人たちから「大変ね」「大丈夫?」「つらいのに偉いわね」といったように、話題にされ、もてはやされ、主役になることができます。しかし普通に生きている人たちは、話題になることがない(=存在しているのか分からない)ことになってしまいます。

しかし、つかさんの目線はその「普通に生きている人たち」にこそ向いています。だからこそ「普通の人」である嫁舅が、「他人の目線」の中で苦しむ姿を描き、その解放を描くのです。普通の人たちの中にこそ真に尊いものを見出そうとする優しさが、ここにはあります。

◇誇りを失った父親たちの、孤独な戦い —— 「戦争で死ねなかったお父さんのために」

「戦争で死ねなかったお父さんのために」では、赤紙が来なかったことによって戦争にいけなかったお父さんは、世間から白い目で見られ、戦争でひどい目に遭ったことを自慢する同期たちの中で肩身の狭い思いをします。
そして戦後三十年経って届いた赤紙に狂喜乱舞し「誇りある日本軍人であったはずの過去」「威厳ある父親像」を取り返そうと、一人戦地に向かおうとします。

これは「戦争にも行けなかった情けない男」という「他人の目線」に対する抵抗の一形態と言えるでしょう。

この作品に出てくる主要な登場人物は3人ですが、3人が3人共に「居場所を失った父親」であり、何とか自分の存在意義を取り返そうともがく姿は、今回の「出発」にも通じるものがあります。

この「他人の目線」の論理の一番有名なものは「熱海殺人事件」における「世間に犯人と認められなければ、犯人にはなれない」というものでしょう。ここでは葛藤であったはずの「他人の目線」が、至極当然なものとして受け入れられ、強制されてしかるべきものにまで昇華されています。

◇「見るもの」と「見られるもの」の対立 —— 「出発」

今回の「出発」では、岡山家の人々は「どうせ女でもできたんだろ」という安易なイメージを押し付けられる(=バカにされる)ことを拒み、自分たちがまっとうな家族を演じきることで、「よくあるつまらない蒸発」を「立派な父の苦悩の末の崇高なる蒸発」にすり替えようと試みます。
ところが父親自身は、そこにプライドを持たない人間であるがゆえに、そこに家族と父親のすれ違いが生まれます。それはやがて「そもそも家庭に父親の居場所はあるのか?」という問いに変わっていきます。

戯曲に書かれている家族の大騒動は 、極めて滑稽で笑えます。しかしそれは「あそこはこういう家だから」と決めつけてくる他人の目線に対する、必死の戦いです。その戦いは、時代にかかわらず、おそらくだれもが一度は経験する苦しみです。だからこそ、その言葉は時に切なく、痛々しく、胸に突き刺さるのでしょう。

もちろん、これは僕たちの「今の」解釈に過ぎません。上演を重ねれば、また別の見方になることもあるでしょう。様々に解釈の余地がある作品ほど、面白いものはありません。この戯曲の持つ面白さをどこまで伝えられるか…最後まで戦いは続きます! どうか観届けに来てください!