INTERVIEW – 高野愛

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つかこうへいを探す旅に、一番信頼できる仲間と出発した感じです。

もともと自信満々の子供でした。ミュージカルを観に行くといつも「なんで私は観てる側なんだろう?」って思ってました。でもそのミュージカルのオーディションを、何度受けても受からなくて、それでも自分は特別だって、理由もなくずっと信じてたんです。高校卒業の直前、2001年の春まで。その理由のない自信しかない私を、少しだけ特別にしてくれたのがつかこうへいでした。

★☆北区つかこうへい劇団へ…

劇団を受けるって決めたときの条件は、

1.有名なプロの劇団であること
2.自宅から通える場所であること
3.とてつもなく高い授業料じゃないこと

でした。(笑) 私、つかこうへいを知らずに劇団の門を叩いたんですよ。それを言うと先輩たちに信じられない! と言われたし、恥ずかしいから外で言うなって言われました。でも今考えると、知らなかったからつかさんの目に留まったのかなって。私の知るつかさんは何も知らない、まっすぐな人間を好むような気がしていましたから。つかさんの目に留まれたこと、それが私が少しだけ特別になれた瞬間でした。

劇団に入ってしばらくは、ほとんど脇目も振らずに、つかこうへい作品ばかりやり続けてきました。つか作品には、大体、女性の役は一人しかありません。劇団に他に女優がいなかったので、どの作品も私が演じる、という期間が数年ありましたし、「熱海殺人事件」も「蒲田行進曲」も、何がなんだか分からないうちに通りすぎるように演じてました。もちろんいつも全力でしたが、若い自分には分からないことだらけでした。なにしろ、つかさんは「役者は考えるな」という人でしたから、何も教えてくれないんですよ。

でも年を重ねて、いろんな作品に出会って、そしてつかさんが亡くなって、その時初めてかもしれませんね。つかこうへいが作ってきたものってなんだろう、と考えたのは。そして、その時に演じた作品が「飛龍伝’90」でした。私にとっては憧れの作品で、いつか「お前で『飛龍伝』やるぞ」とつかさんに言わせるのが夢でした。つかさんが亡くなって、ようやく演じることができた作品。ある意味、夢が一生叶わなくなった瞬間でした。

つかこうへい作品の魅力とは?

つかこうへいの作品には他の作品にはない、なんでしょう、言葉にすることができない魅力がいっぱいなんです。初めて観た時の、頭をガツーンと打ち付けられたような衝撃。胸の鼓動。それがなんだったのか、今でもまだうまく言葉にできません。でも作品を観れば、その人たちそれぞれの胸に「何か」残るんですよね。だから、まだまだつかこうへいを知りたい。つかこうへいの台詞を自分の言葉として吐きたい。2001年に入団して、2011年に劇団を解散して、新しい劇団を立ち上げて、一息ついて15年目。この9PROJECTでは、今だからできるつかこうへいを探す旅に、一番信頼できる仲間と出発した感じです。

もう二度と、つかこうへい作品を、つかこうへい本人がカタチにすることはない。だったら遺された作品に込められたものを、私たちがどう見つけて、どう自分たちなりにカタチにするか。それが役者である私にとって一番追い求めたいことであり、そして観に来てくれた人たちの記憶に、一瞬でもその衝撃や胸の鼓動を残していきたい。それが今、自分が舞台に立ちたい理由です。

INTERVIEW – 小川智之

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9PROJECTだからできることを、見つけたい。

北区つかこうへい劇団にいた頃は、心のどこかで「ちゃんとしないといけない」って思っていたんですよね。つかさんが近くにいましたし、やっぱり認められたくてそこにいるわけですから。つかさんという人は、稽古の間だけじゃなく、役者が普段どんな生活をしているか、そういうところもしっかり見ているんですよ。そして次の日には、稽古場でそれがセリフになってつけられる。本当に、いつどこで見てたんだろう、って思うんですよね。家に盗聴器でも仕掛けてあるんじゃないかって。(笑) だからいつどんな時も、油断ができないんですよ。

9PROJECT だからできること

もちろんそれはすごく良いことで、それで鍛えられてきた部分はたくさんあるんですが、9PROJECTは新しい仲間と「こうしなきゃいけない」という固定観念を持たずにやっていきたいと思っているんです。つかさんに言われたからやるのではなく、自分たちのやりたいことにとことんチャレンジしたい。そのためには、一度今までの作品作りの基本というか、僕らの中にある「つかこうへい作品はこういうもの」という固定観念を一度取っ払ってやらなきゃいけないんです。

第1回公演から、つかさんの古い作品の挑戦しているんですが、それもやっぱり、今までと同じものを作っていきたくない、という思いがあったんですよね。初期の頃の作品と、僕たちの知っている晩年の作品は全然つくり方が違いますから、そういう初期の作品に挑戦することで、自分たちをリセットしたいな、と。つかさんという人は、同じ作品を何度も書き換えて発展させていく人でしたから、初期の作品というのは、その後のすべての作品の原点なんですよ。だから、つかこうへいという劇作家を理解する上でも、これは重要なことだと思うんです。

特に第2回公演「生涯」は、そもそも上演されたのが1回だけ。当時の資料もまったくありませんし、とても大きなチャレンジになると思います。でも本当に面白い本なんです。やっぱり言葉が面白いんですよね。つかこうへいの書くセリフは、つかこうへいにしか書けないセリフなんです。ただ、つかさんというのはト書きをほとんど書かない人でしたから、見たことのない作品をやるのって、とても大変なんです。似たような作品があれば、それを参考にすることもできるんでしょうけど、この「生涯」という作品は何にも似ていない…。だから自分たちで全部を理解して、作り上げないといけないんです。僕たちがこの本をどういったものに仕上げるのか、今は楽しみと不安で変な感じですね。出演者全員で、全力で本とぶつかり合っていきたいと思います。

これからの目標は?

もちろん、つかこうへい作品は僕たちの原点ですから、これからも続けていきたいと思ってます。やりたい作品も、まだまだたくさんありますしね。でも、そこで学んだことを使って、自分たちなりのオリジナルにも挑戦していきたいと思ってるんです。せっかく、チームに作家がいるんですから。(笑)既成の台本を使って「これをどういう風に作っていこうか?」と考えていくのも楽しいんですけど、お互いにやりたいことをぶつけ合って、自分たちにしかできない作品をゼロから作り上げていくのは、もっと楽しいんじゃないかと思うんです。やりたいことを、とことんやるのが9PROJECTですからね。

もちろん、そのためには僕たち自身がもっともっと成長していかないといけないと思ってます。技術的に足りないところを、つかさんのセリフに助けられてきた部分がたくさんあるんですよね。だから本当の意味でやりたいことをやるためには、役者として一人前にならないといけない。少しでもいいものを皆さんに届けられるように、これからも切磋琢磨していきたいですね。

INTERVIEW – 渡辺和徳

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僕なりのやり方で、つかさんに向き合いたい。

もともと、文章を書くのは好きだったんです。小学生の頃の将来の夢は、小説家でしたから。高校の頃までは、物書きになりたいとずっと思っていたんですね。それが大学に入った時、演劇サークルに入ってなぜか役者を始めてしまったんです。そしたらそれが楽しくて。(笑)ようするに、表現をすることが好きなんでしょうね。その中で、つかさんの本に出会ったんです。

つかこうへい作品の印象は?

衝撃でした。当時の僕らがやっていたことなんて遊びの延長みたいなもので、ろくに台詞もしゃべれなかったわけですが、そんな僕らでさえ、どんどん心が引きずられていくんです。難しい言葉をしゃべっているわけではないのに、つかさんの台詞に引きずり回されて、まったく自分がコントロールできなくなる。そんな戯曲は初めてでした。ど素人の僕らですら、台詞が勝手に芝居を作ってくれるんですからね。そして大学4年の春、北区つかこうへい劇団を受けました。当時、オーディションの受験者は700人もいて、まさか受かるとは思ってなかったんですけどね。どこに目をつけてもらったのか、なんとかオーディションを勝ち残って、劇団員に残ることができました。

役者の道から脚本・演出へ

実は正式に劇団員になるまで、つかさんにはほとんど見てもらったことがなかったんです。稽古場に行っても、芝居をやらせてもらえるチャンスはほとんどない。そのわずかなチャンスに賭けるわけですが、箸にも棒にもかからず…。ようやくちゃんと芝居を見てもらえる機会ができて、最初の稽古で言われたことが「才能ない。辞めろ」でした。

へこんだなんてものじゃなかったですね。もう全てが終わった、と思いました。ただその頃、僕はつかさんの指示で、劇団のサイトにずっと日記形式のエッセイを連載していたんです。それをすごく気に入ってくれていて、「お前、文章を書けるんだから、本を書け」と言われました。図らずも、もともとの夢に戻っていったわけです。

それから、たくさんのチャンスをいただきました。つかさんの傍で芝居作りをずっと見てきましたし、商業演劇の現場でも働かせてもらいました。劇団公演の演出を任され、やがてオリジナル作品にも挑戦させてもらいました。小さなものも含めると、1年間に10本くらい台本を書いていたと思います。だから僕は、理論を学んで書き始めた人間じゃないんです。とにかく現場、現場、現場です。つかさんは、そういう育て方をしてくれる人でした。

これからやっていきたいこと

僕はつかさんの芝居が好きで、この道に進みました。ですがここ数年、ずっと考えていたことは、「つかこうへいという存在から離れること」でした。つかさんの言った「本を書け」という言葉は、決して「俺の真似をしろ」という意味ではないからです。だから自分にしかできない芝居を作らなくてはならない。そう思って、数年間、模索を続けてきました。そしてようやくその道が見えてきた今、改めてつかこうへい作品に向き合いたいと思っています。ただこれまでのやり方をなぞるのではなく、僕なりの作り方で作品を再解釈し、演出する。それがこの9PROJECTという場所なんですね。もちろん、作品を壊していきたいわけではなく、実際の作品作りを傍で見てきた者として、つかさんが描こうとした本質だけは絶対にブレさせない。自分のオリジナルの追求と、それを踏まえた上でつかさんに向き合うこと。それがこれからの僕の道だと思っています。